南太平洋を手に入れたい習近平が日本軍から学んだもの “教本”は旧陸海軍の戦史? 週刊新潮 20230706
旧日本軍をほうふつとさせる海洋進出を続ける中国。その姿は、かつてわが国が資源を求めて繰り広げた「南方作戦」をなぞるかのようである。南太平洋から「海のシルクロード」まで勢力を広げる彼の国に、私たちはいかに対峙するべきか。早瀬利之氏がレポートする。
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1980年ごろの話になるが、東京・神田の古本屋街から『戦史叢書』が次々と消える珍現象が起きていたことをご存じだろうか。
戦史叢書は全102巻、防衛庁防衛研修所戦史室が編纂し、1960年代から80年代にかけて朝雲新聞社から発行された戦記書物だ。内容は戦中の資料を踏まえ、旧陸海軍の元将校たちが、作戦参謀や前線の指揮官、および兵士たちに聴き取りし、詳細に書き残した太平洋戦争の戦史録である。
筆者も40年ほど前、陸軍中将にして軍事思想家であった石原莞爾の研究に取り組んだ際、神田の古本屋で買い求めたことがある。だが、当時全巻67万円。やむなく関東軍編の2巻のみを部分買いしたものだ。同世代の評論家・故立花隆さんは「オレ、全巻持ってる」と自慢していたが、状態のよいものだと今では全巻で200万円以上はするだろう。
中国大使館関係者らが買い占め
歴史研究家で5年前までオーストラリア、南洋諸島を視察していた田中宏巳防衛大学校名誉教授が、珍現象のタネ明かしをしてくれた。 「戦史叢書は、かなり前から中国大使館関係者や、中国からの留学生と思われる人たちがごっそりと買い占めていたことが知られています。これは旧日本軍が南方に進出する際に調査した、鉱石、原油などの地下資源を記した場所をさぐっていると見られていました」
田中氏は著書『真相 中国の南洋進出と太平洋戦争』(龍溪書舎)の中でもこう書いている。 〈人口の重心が内陸部から沿岸部へと移り、海の近くに世界経済と直結する産業社会が形成され、海洋国家としての姿を見せ始めたことである。古代から続いてきた内陸アジアに目を向けた大陸国家ではなく、世界と海洋で交流する海洋国家に変貌を遂げてきたことである。(中略)内陸アジアには豊かな未来がなく、海洋に向かって発展することが国家の繁栄を実現し、生き残る道であると確信しているかのようだ〉
なぜ買い占め?
ここ数十年の中国の海洋進出はすさまじい。その道しるべとして、彼らは戦史叢書を買いあさっていたのだろうか。実際に中国は、かつて日本海軍が進駐したラバウル、ニューギニアだけでなく、最近ではソロモン諸島の首都、ガダルカナル島のホニアラにも進出し、現地に浸透している。 「アメリカ合衆国は、南太平洋諸島の島々の安全保障を主にオーストラリアに任せていました。しかし、いつの間にか中国人ビジネスマンが食い込み、油断しているうちに農地や港湾の利権を拡張していったのです。中国の経済力が弱かった頃は、誰も危機感がなかったのです」(田中氏)
現在、戦史叢書の内容を把握することは難しくない。国会図書館をはじめとして、全国の主要な図書館に収蔵されているし、防衛研究所によってデジタルアーカイブ化されてもいるので大枚をはたいて買い求める必要はない。
だが、中国の貪欲な海洋進出を目の当たりにしたとき、同書は、彼の国が太平洋に何を求めているか改めて教えてくれる。今なお中国が覇権獲得を、加速させているかのように見えてならないのだ。
「MO作戦」「FS作戦」
戦史叢書において「南洋」に関する記録は20巻近くに及ぶ。そこに書かれた日本軍のどんな行動に中国は関心を持っていたのか。私が注目しているのは「MO作戦」と「FS作戦」とだ。
パプアニューギニアの首都ポートモレスビーは、ラバウル航空隊を苦しめた連合国軍の航空基地があったところだ。当時の最高司令官はマッカーサーである。連合国軍航空基地は4本の滑走路を持ち、米軍のB-17爆撃機でラエやラバウルの基地を夜間爆撃した。対する日本軍は戦線の拡張と米豪連携遮断の両面作戦を立てる。それは、オーストラリアの前線基地だったポートモレスビーを占領し、そこからオーストラリアへ侵攻するというものだ。これが「MO作戦」と呼ばれた。
昭和16年、南太平洋を戦域とする日本海軍は米軍のオーストラリア進出を阻止するため、ニューブリテン島の東端・ラバウルに集結。西側はポートモレスビー、それに続くニューギニア、東側はソロモン諸島からガダルカナルへの進出が計画された。
これと並行するように、当時の海軍軍令部作戦部第1課長の富岡定俊大佐は「FS作戦」を構想する。サモア、フィジー、ニューカレドニアを結んだ線上に基地をつくり、米艦隊のオーストラリアへの進出を遮断するものだ。
気になる動き
実際、南海支隊はニューギニア島の険しいスタンレー山脈を越えて豪州軍最大の根拠地ポートモレスビーを攻めるが苦戦している。もし、MO作戦が成功していたら、マッカーサー司令官はシドニー近くまで後退を強いられていただろう。FS作戦も山本五十六連合艦隊司令長官の強引なミッドウェー海戦が優先され作戦は頓挫した。それから80年余り、中国が見せている動きは、まるでMO作戦、FS作戦をなぞっているかのようだ。
神田から戦史叢書が消えて間もなく、中国はサモアを皮切りにフィジー、そしてニューカレドニアと資金力にものをいわせた経済援助を始める。港湾の整備を持ち掛け、表向きは商業埠頭を造るという名目で“赤いビジネスマン”を送り込んだ。現在、オーストラリアのダーウィンには中国企業が工事を請け負った長い埠頭が完成している。いつでも軍用に使える施設で、さらには内陸部にまで入り込み土地を買いあさっている。銅や錫の鉱山を探しているとされる。
気になるのはニューカレドニアをめぐる動きだ。同島はフランスの海外領土で、数千名の軍隊が駐屯しているといわれる。本来であれば中国を警戒するべきだが、中・仏の関係は急接近。今年4月には、突如としてマクロン大統領が大勢の実業家を引き連れて訪中したのはご存じの通りだ。しかも、マクロン大統領は台湾問題について「欧州は米国と中国のいずれにも追従すべきではない」と発言する始末だ。
各国で港の拡張を強化
南太平洋諸国に対する中国の戦略について、防衛研究所中国研究室の飯田将史室長が解説する。 「フィジーとパプアニューギニア周辺は金、銀、ボーキサイト鉱石のほか天然ガスも出ていて、この一帯は地下資源が欲しい中国にとって極めて重要です。しかし、アメリカとオーストラリアがより懸念しているのは、昨年、中国がソロモン諸島との間で安全保障協定を結んだこと。その中に軍事条項も入っているとみられているのです」
南洋の島々に経済的メリットと安全保障を提供することで、アメリカやオーストラリアとの関係にくさびを打つというわけだ。 「中国は南太平洋だけでなく、カンボジア、スリランカ、パキスタンでも港の拡張を強化しており、軍艦を寄港させるのではないかと懸念されています。米豪の軍事力を遮断する中国の試みは十数年前から行われており、そのやり方は“A2/AD(接近させない。領域に入るのを拒否する)”を目的としている。これは、アメリカ軍が太平洋からオーストラリアにまで展開するのを阻止しようとした日本軍のFS作戦に似ている。実際、旧日本軍もアメリカがオーストラリアに近づくのを妨害しようとしました。現在、中国は攻撃型原潜を多数保有しており、空母が南太平洋に出る時にはこれらも周辺に展開するのではないかとみられている。そうなるとアメリカ軍は、危険を冒さないと近づけなくなります」(同)
中華国恥図とは
戦史叢書には、南太平洋だけでなく数冊にわたってマレー半島以西における旧日本軍の行動も記されている。そして中国もまた勢力範囲を「一帯一路」政策によって、“海のシルクロード”とよばれるマレー半島の西側にまで広げている。大英帝国の東洋艦隊の基地だったスリランカに巨額の経済援助を行い、2017年、99年間という長さでハンバントタ港の租借権を得た。
元海上自衛隊海将補で、笹川平和財団海洋政策研究所の秋元一峰特別研究員が語る。 「中国がスリランカに拠点を得たのは、インド洋からアフリカ・地中海へ至るための中継地が欲しかったからでしょう。軍事面からはインドがスマトラ島の北西にあるアンダマン・ニコバル諸島に海軍基地を持っている。だから、軍港として利用する思惑もあるでしょう」
それにしても、南洋に飽き足らず、さらなる勢力拡大を図り海洋進出を続ける中国の貪欲さは、どこからくるのであろうか。それを示す一枚の地図がある。前出の田中氏が見つけた「中華国恥図」だ。
1936年、蒋介石が地理学者の白眉初に描かせた「海疆南展後之中国全図」によると、中国の東側の国境・領海は、朝鮮と満州の境から始まり、鴨緑江周辺から東シナ海に下るとある。国境はそこから台湾の西側を通り、南シナ海をぐるりと一周している。また、それ以前の「中華建設新地図」(白眉初の作成)では台湾の西を南下し海南島と西沙諸島までが境界だった。
事実とは異なる地図だが…
ところが、太平洋戦争直前の1939年に改訂された地図になると版図はとたんに拡大する。これが「中華国恥図」だ。
そこでは、北側はバイカル湖、東は樺太から北海道の宗谷沖を下り、日本海の中央を通って、対馬、五島列島の手前までが領海だ。さらにトカラ列島、沖縄全島はもちろん領土、そして台湾はもちろん、フィリピンのセレベス海を抜け、旧ボルネオ島の西側半分も、領土だとしているのだ。
田中氏によると、 「これは、清朝以前の冊封国をも国土と見なしているもので、事実とは全く異なる。国威発揚を狙って作成されたものなのでしょう」
問題なのは、中国の若者たちが、今も昔も、これが本来の中国領土だと信じ込まされて育ってきたことだ。この「中華国恥図」の冒頭文には、ユーラシア大陸もわが領土だとばかりに次のように書いている。 〈わが国は清代全盛期、威信は四隣にとどろき、諸国は版図に入るか入貢して藩と称した。わが国の権力の及ぶところはオホーツク海、日本海、太平洋、アラル海、アフガニスタン、バイカル湖、外興安嶺、マラッカ海峡、スールー海に至る世界の大国であった。しかしわが国は辺境と属国を管理することを知らず、ヨーロッパ諸国が次第に蚕食した。アヘン戦争、清仏戦争、日清戦争、義和団事変の後、藩邦を割譲され尽くした〉
中華国恥図とは、かつての中国領土は今よりずっと大きく、現状に甘んじているのは“国の恥”という意味だ。現在の中国共産党指導者は中華国恥図を教えられた世代だ。
中国国民を海洋進出に駆り立てる“興奮剤”
12年前、前出の秋元氏は厦門を旅した際、小学校の教室に掛けられている中華国恥図を見て驚いたという。 「それは小学校用として作られたもので、外枠の実線の内側全てを取り戻さねばならないという教えの意味があるのでしょう。もっとも中華国恥図は2017年に3万点を破棄処分したはずです。しかし、20年に香港国家安全維持法を施行後、香港で復刻版が登場している。北京政府の指示か、あるいは誰かの忖度かもしれません」
中華国恥図を、単なる学校の教材と片付けてはいけない。中国国民を海洋進出に駆り立てる“興奮剤”の役割を担っているからだ。そのことは、地図の実線の上で実際に起きている。
中国がすでに多くの原潜を保有していることは先にも述べた。これに加えて、目下3隻目の8万トン級空母を建造中だ。南シナ海、南太平洋に配置することは十分に考えられる。心配なのは原油・天然ガスが運ばれるシーレーンの保全である。
秋元氏によると、「インド洋を回るバルク船、タンカー、コンテナ船などの商船は、マラッカ海峡から南シナ海を経て日本へやってきます。南太平洋が中国に支配されると、この海峡からの航行がむずかしくなる。するとオーストラリア沖を迂回(うかい)し、西太平洋を北上するルートを取らざるを得ない。中近東から原油・天然ガスを運ぶことは大変なコストと時間がかかります」
日本人はどう備えるべきか
実際、日本近海では不穏な動きが続けざまに起きている。3月下旬、中国の情報収集艦が津軽海峡から太平洋に出て堂々と南下し、九州の大隅半島沖に接近して東シナ海に出たことが明らかになる。もとより、機関砲を搭載した中国公船が尖閣諸島周辺の領海に侵入して、日本漁船を追いかけまわすのは常態化しており、台湾領の馬祖島と台湾本土を結ぶ海底ケーブルが中国船に切られる事件も起きている。前出の田中氏は、「鹿児島の領海ギリギリを中国艦船が通過するのは海底ケーブルを探査しており、いざとなれば沖縄とを結ぶ海底ケーブルの切断も視野に入れているはずです」
日本は日米同盟による軍事力で、かろうじて中国を押さえ込んでいるかに見えるが、実態は脆弱だ。専守防衛が国策である日本が敵国に奇襲攻撃された場合、同盟国のアメリカ軍が日本より先に反撃に出ることはない。必ずしも抑止力にはならないのだ。ならば日本人はどう備えなければならないか。「ウクライナ戦争を目の当たりにして日本人は現実を直視するようになりました。その点で言えば昨年暮れに決定された安保三文書は大転換です。世論調査を見ても過半数の日本人が反撃能力を支持している。ある日、隣国が突然侵略してくる可能性を多くの日本人が肌で感じたはず。自衛隊も反撃の能力を保有し、必要な時は使う。国民はそれを支持していると内外に示すことが大切なのです」(飯田氏)
石原莞爾が残した言葉
かつて日本は「北守南進」を国策とし、無謀な太平洋戦争へ突き進んだ。それをなぞるかのような中国の動きを目のあたりにして、私は石原莞爾を思い出さざるを得ない。南進政策を巡って東條英機陸相と対立し、1941年3月末、日米開戦を前に第16師団長を解任された石原は〈現役を去るに臨んで〉との小論を書き残している。そこでは4項目にわたって軍のなすべきことを示しているが、見逃せない一文がある。
〈兵器の製作は国家の全工業力の統合的運用にまつべく、一日も速やかに天才的人格を戴く軍需工業省の創設を熱望いたします〉(雑誌「共通の広場」石原莞爾特集号より)
だが、東條内閣はガダルカナル撤退9カ月後になって軍需省を作り、鍋釜などを徴発した。戦う前に、敵の攻撃の意思をくじくことを最良の戦法とした石原。いま生きていたらどんな言葉を国民に発していただろうか。 早瀬利之(はやせとしゆき) 作家。昭和15年、長崎県生まれ。昭和38年、鹿児島大卒。著書に『タイガー・モリと呼ばれた男』『石原莞爾 満州ふたたび』『敗戦、されど生きよ』などがある。石原莞爾平和思想研究会副会長。 「週刊新潮」2023年7月6日号 掲載
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請網友務必留下一致且可辨識的稱謂
顧及閱讀舒適性,段與段間請空一行