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2021-07-14

騎馬武者 「七生報國」的楠木正成

 

楠木正成像(東京都千代田区皇居外苑)

原型製作に約3年、完成までに10年の月日をかけてつくられた楠木正成像

二重橋駅から徒歩5分のところにある「皇居外苑」。その一角にあるのが建武中興の忠臣であった楠木正成公(楠公)の銅像です。この「楠木正成像」は高さ約4m、台座を含めると約8mの高さを誇り、目の前にするとその荘厳な姿は圧巻。上野公園の西郷隆盛像、靖國神社の大村益次郎像と共に「東京の三大銅像」の一つとして数えられています。

手綱を引きながら馬を抑え、頭を下げ拝礼しようとする「楠木正成像」。この姿は、楠木正成公が正慶21333)年に、隠岐の島から戻った後醍醐天皇を、兵庫の道筋で出迎えたときの勇姿を象ったものです

源頼朝が京都に入った際の従者「楠木四郎」を祖先に持つ楠木正成。かつての武蔵国の御家人であった楠木一族は北条氏に仕え、河内国の管理をするために河内に移ったと推定されています。

やがて、後醍醐天皇の倒幕計画に同調し、兵衛尉の官名を与えられた正成。当時、忍者の家系であった服部家の姻戚関係にあった正成は、服部家の協力を得て、敵を欺く忍者のゲリラ戦法を駆使し、後醍醐天皇の倒幕を成功に導いた人物として知られています。

愛媛県の別子銅山200年記念事業として献納された「楠木正成像」。1891年に東京美術学校(現・東京藝術大学)が製作依頼を受けました。別子銅山の銅を使い、頭部を高村光雲、身体・甲冑部を山田鬼斎と石川光明、馬を後藤貞行が担当しています。

もともと楠木正成の肖像は20数点残されていましたが、全て骨相が異なり、有力な参考資料はありませんでした。結果、正成の表情は、優れた軍略家の表情を再現することに重きを置いて、製作に取り組まれています。

甲冑は歴史画家であった川崎千虎が考証を担当し、楠木正成の所縁ある寺社や遺物を研究し、史実を補充しながら図案を完成させました。馬を担当した後藤貞行は、軍馬局から譲り受けた馬の屍体を解剖したり、自ら東北に出向き多くの馬の写真を撮影し、模型を作成し、細部を再現していったそうです。

銅像は木彫の原型製作に約3年を費やし、完成に至るまで10年の歳月がかけられました。多くの知見が集約され、時間と情熱をかけて製作された「楠木正成像」。ぜひ間近で見てその精巧さを観察し、迫力を体感してみてはいかかがでしょうか。

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