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2014-05-05

1946年〈大島臨時憲法〉

 Comment
1946129日鑑於GHQ將日本的行政權限排除沖繩、奄美大島等地,並擺出一種「監督但賦予島民自治」的立場。伊豆大島居民隨即基於大正民主的慣性起草〈大島大誓言〉(即大島臨時憲法)未來過渡到〈大島憲章〉,期待從日本獨立出來建立「大島共和國」。

3月上旬,〈大島大誓言〉出爐。
東京都向GHQ強力表達:該島無軍事設施,且長期為東京都的一部分,以阻止其獨立。322GHQ決定伊豆大島等回歸日本,維持53天的獨立的想法及〈大島臨時憲法〉被淡忘。
有趣的是,臨時憲法提及是「統治權」──統治權在島民。行政權:由議會推薦並選舉的4名公民擔任「執政」,執政長有執政互選之。

伊豆大島の暫定憲法、所在不明に 敗戦翌年に制定の史料朝日2014.05.05http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%B1%86%E5%A4%A7%E5%B3%B6
 敗戦翌年の1946年に伊豆大島東京都大島町)でつくられた「暫定憲法」の原本とその制定過程を示すメモが所在不明になっていることが大島町への取材でわかった。平和主義的な理想や主権在民を記した規定が盛り込まれた文書として注目された。町は「貴重な史料にもかかわらず、管理が不十分だった」として、今後調査する。
 この文書は46年1月、連合国軍総司令部(GHQ)の覚書で伊豆諸島が日本から切り離されることになり、島民が「独立」を決意して約1カ月間で作った平和主義は前文に、主権在民は1条に盛り込んだ。52日後、GHQの指令が修正されたため、施行は幻に終わった。
 その後、文書は島の歴史をまとめた書物に2ページ余りの記述があるほかは忘れられた存在になっていたが、97年に町の委嘱を受けた専門員が町立郷土資料館の文献を整理中、暫定憲法の原文とその草案、制定過程を示したメモなど約20枚を発見町は同年、資料館に原本などを展示した。
 町教委によると、コピーは今の担当者に引き継がれているものの、原本やメモの所在がその後、わからなくなっているという。石川龍治・町教育長は「管理が不十分だったことは認めざるを得ない。貴重な史料を捨てたとは考えられず、どこかに必ずある」と話す。昨年度から学芸員資格を持つ町OBを臨時雇用して史料の整理、点検を進めているという。
 榎沢幸広・名古屋学院大講師(憲法学)によると、当時の伊豆諸島では三宅島や八丈島でも独立構想があったとされるが、文書は残っておらず、大島憲法は貴重だ。制定過程を示すメモには消したり書き加えたりした跡が残り、「島のために活発な議論が交わされたことが感じられる史料で、再発見されることを願いたい」と話す。(古城博隆)
     ◇
伊豆大島暫定憲法〉 全23条。前文で「旺盛なる道義の心に徹し万邦和平の一端を負荷しここに島民相互厳に誓う」と平和主義をうたい、1条で「大島の統治権は島民にあり」と主権在民を明記した。有権者の5分の1の要求で、議会の解散や行政府の不信任を決する住民投票ができるなど、島民主権が意識されている


一九四六(昭和二一)年三月前半ころ
本島曠古ノ激変ニ会シ其ノ秩序ヲ維持シ進ンデ島勢ノ振起ヲ図ルニハ基本法則タル大島憲章ヲ制定スルヲ以テ第一義ト思料スルモ此ノ事タル多分ニ慎重ナル態度ト高邁練達ナル思考ヲ要シ焦慮軽挙ハ厳ニ戒メザル可カラズ然モ一方状勢ハ一刻ノ逡巡ヲ許サズ仍テ不敢取島民総意ノ一大誓言ヲ提ゲテ事態匡救ノ一端ヲ把握シ之ニ依テ制立セル議会二依ツテ憲章制定事業ノ完遂ヲ期スルヲ以テ時宜ヲ得タル処置ト信ズ仍テ左記提案ス
大島大誓言
吾等島民ハ現下ノ状勢ニ深ク省察シ島ノ更生島民ノ安寧幸福ノ確保増進ニ向ッテ一糸乱レザル巨歩ヲ踏ミ出サムトス吾等ハ敢テ正視ス、吾等ハ敢テ廿受ス、吾等ハ敢テ断行ス仍テ旺盛ナル同義ノ心ニ徹シ万邦和平ノ一端ヲ負荷シ茲ニ島民相互厳ニ誓フ
一、近ク大島憲章ヲ制定スベシ
一、暫定措置トシテ左記ノ政治形態ヲ採用シ即時議員ノ選挙ヲ行フベシ
一、当分ノ間現在ノ諸機関ハ之ヲ認ム
記 「採案左記」
大島政治形態
第一章 統治権
一、大島ノ統治権ハ島民二在リ
ニ、議員選挙有資格ノ二割以上ノ要求ニヨリ議会ノ解散及執政府ノ不信任ヲ議員選挙有資格者□投票ニ付スル事ヲ得
此ノ場合及議会若ハ執政ヨリ発セラレタル賛否投票ハ総テ多数決制ヲ採用ス
第二章 議会
三、島民ノ総意ヲ凝集表示スル為メ大島議会ヲ設置ス
四、議会ハ一切ノ立法権ヲ掌握シ行政ヲ監督ス
五、議員ノ任期、三ヶ年
六、議員ノ選挙方法ハ衆議院議員選挙法ノ主意ヲ採用ス
七、選挙ノ区域ハ各村別トシ人口五百名ニ対シ一名ノ割合ヲ以テ「議員ヲ」選出ス
人口五百名未満ノ場合ハニ百五十名以下ハ切下ゲム仝上以上ハ切上ゲ計算トス
八、議会ハ議長之ヲ招集ス
九、議長副議長ハ議員ノ互選ニヨル
、議会ニ於ケル議員ノ言論ハ議会外ニ於テ責ヲ負ハズ
一一、議会ハ随時執政員ノ出席ヲ求メ質問シ得ル事
一二、各村長ハ議員ノ資格ヲ有シ議会ノ解散ニ依リ喪失セズ
一三、議会ハ必要ト認ムルトキハ島民ヲ招致シ其ノ意見ヲ聴取シ得ル事
一四、議会ハ執政府ノ不信任二関シ有権者ノ投票ヲ要請スルコトヲ得
第三章 執政
一五、島民ノ総意ヲ施行シ島務一切ヲ処理スル為メ四名ヨリ成ル執政ヲ設置ス
一六、執政ハ連帯責任トシ島務一切ニ付其ノ責ニ任ズ 「任期ハ三ヶ年」
一七、任期ハ三ケ年
一八、執政長ハ執政ノ互選ニヨリ定ム
一九、執政長ハ島ノ首長トシテ内外ニ対シ島ヲ代表ス
ニ○、執政ハ議会之ヲ推薦シ議員選挙有資格者ノ賛否投票ニ依リ選任ス
ニ一、執政ハ議会ニ対シ予算決算案及其ノ他ノ議案ヲ提出シ其ノ審議ヲ求ムベシ
ニニ、執政ハ議長ノ許可ヲ得タル上意見書ヲ議会ニ提出シ其ノ説明ヲ為シ同意ヲ求メル事ヲ得
二十三、執政ハ議会ノ解散ニ関シ有権者ノ投票ヲ要請スル事ヲ得
欠ケテル点ハ司法権(「」内は後の書き込み)


山田耕平 (2014422 14:34) | コメント(0) | トラックバック(0)
草の根から生まれた憲法草案がここにも
 5月10日~18日、青年劇場の「みすてられた島」の公演が行なわれます。敗戦直後の伊豆大島で作られた幻の〝大島憲法〟に想を得た近未来劇です。安倍政権による改憲の策動が強まるなか、日本国憲法の意味を見つめなおす上で、重要な機会となるのではないでしょうか。

平和主義や主権在民も
 大島憲法の前文にあたる大島大誓言では「道義の心に徹し万邦和平の一端を負荷し」と世界平和をうたい、第一条で「大島の統治権は島民に在り」と主権在民を明記しています。
 終戦直後、食糧にも事欠く大島で〝日本の行政権から除外される〟ということは深刻な事態です。しかし、独立覚悟の悲壮な決意とともに、平和主義や主権在民の原則を盛り込んだ大島憲法は、新たな時代を切り開こうとする島民の展望と活力を感じさせます。
東京新聞(2013年8月14日付け・東京トリビア)で詳細な特集記事を掲載しています。


日本国憲法の土台には国民の切なる願いが
 大島で独自の憲法がつくられたのは、日本国憲法の策定作業が進められたほぼ同時期です。当時の日本国民の中に、反戦平和と主権在民への切実な願いが強く根付いていたことを示しています。

大島憲法とは
 1946年1月、連合国軍総司令部(GHQ)は日本の施政権から沖縄や、大島を含む伊豆諸島を除外した。そのため、大島では島の独立が準備され、憲法草案が作られる。3月上旬には草案がほぼ出来上がっていたが、同22日、伊豆諸島を再び日本本土に復帰させる行政分離解除が発令され、大島の独立および「大島憲法」は幻となった。



東京新聞(2013年8月14日付け・東京トリビア)で詳細な特集記事を掲載しています。

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