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2014-08-15

日本帝國外交:分不清事實與期望

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英國政府檔案館資料可知:19452月日本雖得到〈雅爾達密約〉,蘇聯對日參戰已成定局。


此情報由日本駐斯德哥爾摩的大使館陸軍武官獲得並分享給德國,但日本政府認為是天方夜譚,而相信要結束戰爭必須仰賴蘇聯。

史達林當時表現友好姿態,讓日本堅信1926年簽訂的〈日蘇互不侵犯條約〉仍有效,卻暗中準備對日作戰。
實際上,在珍珠港事變次日美國時間1944128日,美國即邀請蘇聯駐美大使對日作戰。蘇聯當時答應聯合王國外向「將來會對日作戰」。

19431月蘇聯在德蘇史達林格勒戰役獲勝後,史達林即派遣特使向美國總統表示對日作戰之意。194310月,美英蘇三國在莫斯科的外長會議,美國國務卿獲知蘇聯將在對德作戰勝利後立即對日宣戰。11月美英蘇三國首腦在德黑蘭會議中,決議在歐洲開闢第二戰線(其後為諾曼地登陸),以換取蘇聯對日作戰的承諾。因此,在對日宣戰前2年,蘇聯即以中立之名作對日作戰準備。

反觀日本,從美日宣戰後一直堅信根本不可能的德蘇和平方案,而往仰賴蘇聯穿梭來終止對英美作戰的方案。這是日本欠缺蘇聯從歐洲擴張到亞洲的共產革命的情勢分析。

194545日,蘇聯通知日本無意延長互不侵犯條約。日本樂觀認為「還有一年的有效期」。當德國戰敗後,滯留德國的150名日本人還安全的從柏林經由西伯利亞鐵路回國。蘇聯高明的偽裝讓日本做了錯誤判斷。這是蘇聯守小信,以隱藏真實意圖的標準手法。



一級情報捨て偽装妄信…諜報分析に欠けた日本、野望見抜けず世界から孤立○產經新聞 (2014.08.05) http://sankei.jp.msn.com/politics/news/140805/plc14080516000016-n1.htm
 ヤルタで密約したソ連の対日参戦という同じ情報をめぐり、日独の対応の違いを明らかにした英国立公文書館所蔵の秘密文書は、今日の国際情報分析にも大きな教訓を投げかけている。日ソ中立条約は有効と最後の瞬間まで信じ込ませながら、対日戦の準備を完了させていたソ連のスターリン。その冷徹な野望を前に、日本のインテリジェンス(諜報=ちょうほう)は致命的に分析力が欠けていた。(編集委員 岡部伸) 

 1945(昭和20)年2月のヤルタ会談でソ連が対日参戦を最終的に密約した情報は、日本同様に敗色濃厚だったドイツにとっても第一級だった。ソ連軍の反攻で首都ベルリンが風前の灯となっていたからだ。このためドイツは、ストックホルム駐在の小野寺信(まこと)陸軍武官からもたらされたとみられるこの情報を政府内や在外公館で一斉に共有した。

 ところが、小野寺武官からの情報は、日本の中枢にとって「不都合な真実」だった。終戦工作の頼みの綱に考えたのが中立条約があったソ連だったためだ。

 日本の指導層は、スターリンが当初から日本のために和平仲介する気がないことに気づいていなかった。米時間で日米開戦翌日にあたる41年12月8日、ルーズベルト大統領は駐米ソ連大使リトヴィノフに対日参戦を要請。スターリンはイーデン英外相に「将来対日戦に参加する」とほのめかしている。

さらに43年1月、独ソ戦の天王山スターリングラード決戦で勝利を確信するとスターリンはクレムリンで、米大統領特使ハーレイに対日参戦の意思を明かした。同年10月モスクワで開かれた米英ソ外相会談でハル米国務長官に「ドイツ壊滅後ただちに対日戦争に参加する」と表明。続く11月の米英ソ首脳によるテヘラン会談でも欧州で第二戦線(後のノルマンディー作戦)を開く見返りとして対日参戦を確約。中立とは名ばかりでソ連はヤルタで密約を交わす約2年前から参戦を決め、準備していた。

 こうした状況をつかんでいなかった日本は、日米開戦直後からソ連に対して、実現可能性のない独ソ和平の特使派遣を持ちかけ、拒絶されている。その後、米英との戦争もソ連仲介で終わらせようと工作を進めた。ボルシェビキが欧州からアジアへ共産革命を拡大させようとしている情勢分析が欠落していた。

 日本は、ソ連が1926年から41年までに周辺15カ国と不可侵、中立条約を結び、そのうちナチス・ドイツをのぞく13カ国との条約を破り侵攻した事実も把握せず、国際連盟脱退以来、世界から孤立して情報音痴に陥っていたといえる。

 こうした分析力の乏しさは45年4月5日、ソ連が中立条約の不延長を通告しても「あと1年間は有効」と希望的観測を募らせ、条約を破って侵攻される14カ国目となる悲劇を招いた。

ソ連が仕掛けた偽装工作も巧みだったといえる。ソ連仲介和平を真剣に考えていた東郷茂徳外相らは、モスクワでの日本大使館に対する姿勢、またドイツ降伏後、欧州に残された約150人の日本人を誠実に協力してベルリンからシベリア鉄道で帰国させたことなどから、ソ連は中立条約を順守し、米英との仲介の労をとると誤認していた。

 最後に宣戦布告という大どんでん返しを受けるのだが、元外務省主任分析官の佐藤優氏は「ソ連は在欧州日本人の帰国という小さな案件で信用させ、対日参戦という陰謀を隠した。小さいことで信用させ、最後に一回大きくだますのはインテリジェンス交渉術でよく使われる技法だ」としている。

     ◇
 ■小野寺情報 ストックホルム駐在陸軍武官の小野寺信はロンドンの亡命ポーランド参謀本部から、ヤルタ会談でソ連がドイツ降伏3カ月後に対日参戦する密約を交わした情報を入手。1945(昭和20)年2月中旬ごろ、参謀本部あてに緊急電で伝えるが、ソ連仲介和平工作に埋没して抹殺され、国策に生かされず、半年後、ソ連の侵攻を招いた


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