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2018-08-30

金門非台灣,公投能決定?


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Kinmen and Matsu is two territories occupied by Taiwan.
Maybe it is a perfect chance to let people of Kinmen and Matsu to decide where they like to belong to through a plebiscite.
However, Beijing may be not fond of the idea.
Beijing just do let its people to enjoy modern rights as humen being.


President Tsai did not attend the memorial ceremony of the 60 anniversary of August 23 bombard. 
Unexpectly, vice President Chen visited Kinmen with his family members on August 24, the very next day of the anniversary.
Some stories are inside, I believe.


向日媒訴苦 金門人:我們不是台灣人….蘋果 20180830
《日本商業新聞》(JBpress)周四(30日)發表一篇名為《「我們不是台灣」讓中華民國困擾的離島現實》的報導,介紹金門與台灣的「意識形態衝突」。

報導指,金門除了第二次大戰期間,曾有8年被日本統治外,自中華民國1912年建國以來,一貫都是中華民國的領土,對於自己曾是「守護中華民國體制」的角色,感到自負。然而,今年823日,一個象徵金門歷史的日子,台灣總統蔡英文卻沒有現身。令當地民眾忍不住詢問來訪的台灣前副總統呂秀蓮,「為什麼蔡英文不來?」

撰文的安田峰俊向日本讀者強調,金門民眾希望蔡英文到訪,是因為她是中華民國的總統,而非金門人支持蔡英文或民進黨,且民進黨非常不受到金門人的歡迎。就算蔡英文在2016年以壓倒性的勝利當選總統,朱立倫在金門獲得的選票,仍是蔡英文的近四倍。

安田表示,他2013年訪問金門時,就有金門民眾向他直言:「老實說,就是討厭民進黨。尤其是陳水扁(2000~2008年)時代,推動的台灣正名運動,讓護照上被加上TAIWAN,中華郵政也變成台灣郵政(後來又改回)。但是我們不是台灣人,我們是福建人,是中華民國人」。

安田又指,中華民國於1990年代,在李登輝政權的主導下,開始推動「台灣化」,可說令金門人五味雜陳。雖然內戰後,從中國逃到台灣的外省人與外省人子孫,也對台灣化感到不滿,但至少目前住在台灣,勉強算是「台灣人」,但金門島民認為,不管如何定義,他們都不是「台灣人」。他們甚至認為,一旦從中華民國變成台灣,一個與金門本來就沒有關係的「台灣」變成國名,金門島將宛如被殖民支配。還有金門民眾向安田抱怨:「民進黨的黨旗從一開始就只畫台灣,對於金門過的怎樣,他們才不關心」。

自從2000年以後,國共內戰趨向沉靜化後,金門與鄰近的中國大陸的「聯繫」,愈來愈強。不但有許多島民到對岸的廈門投資獲利,對陸客的「過敏感情」也非常稀薄。此外,一些金門人的親屬,橫跨金門島與福建兩地,整個金門島對於台、中和好,呈現一片歡迎的氣氛。而今年85日,為了解決水不足的困擾,金門開通海底送水管線,接受來自對岸廈門市的供水。但金門島民更強烈希望,中國也能向金門供電,及建立連結金廈兩岸的跨海大橋。

安田分析,不同於東南亞基於商業利益的對中傾斜,金門人向來自認為自己是中國人,只是目前政體不同,但有著共同的民族、文化。反觀,台灣民眾雖然愈來愈能接受少數民族的客家人及原住民,但對於金門、馬祖人,台灣人的關心依然不高

金門民眾自認「是中華民國的國民」,但又不是「台灣人」,這樣的認知,對於警戒中國滲透的蔡英文政權而言,可說是相當頭痛的問題。


「我々は台湾ではない」中華民国を悩ませる….JBpress 20180830
離島の現実かつては激戦地の「金門島」、島民の心はずっと中国人?
金門島という島をご存知だろうか? 台湾本島から台湾海峡を挟んで西に約270キロ、中華人民共和国の福建省厦門市の沖合いわずか5キロの場所に浮かぶ、中華民国の実効支配下にある地域だ(下の地図)。現在、この島がちょっとホットな話題の場所となっている――

砲戦記念イベントを欠席した蔡英文
「なぜ、蔡英文は島に来ないのか?」

 今年(2018年)823日、かつて陳水扁政権時代の副総統だった呂秀蓮が金門島を訪れた際に、地元住民からこうした質問攻めに遭ったと台湾紙『自由時報』が報じている。呂は記者会見の席で「台湾は(金門島に対して)情がなさすぎる、冷たすぎる。もしも金門が存在しなければ今日の台湾はなかったでしょう?」と発言。蔡英文の姿勢を批判した。

 この日は、過去に中華民国軍と大陸の人民解放軍が金門島をめぐる激しい砲撃戦「八二三砲戦」を開始した日からちょうど60年目にあたる。この日の前後、台湾からは当時の戦役に参加した老兵600人以上が島を訪れて記念イベントに参加し、往年の戦いを偲んだ。

 だが、中華民国現総統の蔡英文(民進党)は、外遊の直後であることや、エルサルバドルが台湾との断交を発表したことによる多忙もあって、金門島でのイベントを欠席。蔡は公式フェイスブックに「60年前も60年後も、台湾人が故郷を守る決心を砲弾で変えることはできない」と関連する投稿をおこなったのみで、副総統の陳建仁を代理出席させることもなかった

 ゆえに、高齢層や金門島の地元住民を中心にうっすらとした反発が広がっている。野党・国民党は同月18日に台北市内で「八二三砲戦」を記念する式典を開き、蔡政権の姿勢に批判的な構えを見せた。

中華民国の最後の大陸領土「金門島」
 現在は「台湾」とほぼイコールのようなイメージがある「中華民国」は、かつては中国全土に主権を持つとされた国家だった。だが、日中戦争の終結直後に起きた第2次国共内戦に敗北し、臨時首都を台北に移転して、台湾島と周辺地域を実効支配する国に変わる。中華民国は1950年代前半までに大陸の主要部をすべて失い、1955年には浙江省の島嶼部の拠点も放棄した。

 ところが、台湾から見て海峡を挟んだ向こうにある福建省北部の島嶼部の馬祖県と、同省南部の島嶼部の金門県だけは、その後も「中華民国」のまま残存した。この領域が事実上確定したのが、60年前の「八二三砲戦」だったのだ。

 1958823日、中華人民共和国の人民解放軍は、厦門市の沖に残された中華民国支配地域・金門島の「解放」を目指して大規模な軍事作戦を開始。1カ月半にわたり中華民国軍との間で猛烈な砲戦をおこなったものの、戦略目的を達成できずに終わった。この砲戦は「八二三砲戦」と呼ばれ、500人以上の死者を出した中華民国軍の頑強な抵抗は語り草となっている。

 中華人民共和国側は、この後も1960年ごろまで断続的に戦闘行為をおこなうが結果が出ず、やがて決められた曜日に儀式的に砲弾を撃ち込むだけになる。これは1979年まで続いた。対して中華民国側は、国共内戦の最前線として小さな金門島に10万人の兵士を貼りつかせ、軍政のもとで島内住民への移動制限を布告。民兵の組織化をはじめとした総動員体制を敷いて防衛し続けた。

 やがて中台間の軍事的緊張が雪解けを迎えた後も、金門県における戒厳令の解除は台湾本島や澎湖島より5年も遅い1992年となり、民主的な県議会選挙の実施もその翌年までずれ込んだ。2002年までは、金門地域だけで通用する紙幣も発行されていた。


1 則留言:

  1. 所以充員兵都白死了?這些清國奴真是令人氣得牙癢癢的...

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